千日の稽古を鍛とし 万日の稽古を練とす

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宮本武蔵に学ぶ


百日の行いを鍛 千日の計画を錬 そして勝負は一瞬
語訳:その一瞬のために、百日鍛え、千日鍛錬、それが武士である



宮本武蔵と聞いて、アナタはどんな人物を想像するだろう。
おそらくは、巌流島で佐々木小次郎との戦いにわざと遅れ、
心理戦で勝利したなどというイメージではないだろうか。

宮本武蔵とは、まるで漫画バカボンドや小説の主人公のようなイメージがあり、
実在した人物という認識がある人は少ないのかもしれない。

 

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宮本武蔵は実在の人物で、
江戸時代初期の荒れた戦国時代の中で剣術が秀でて、
天下無双の剣豪として名を馳せたのである。
その生涯は武者修行の連続で、剣豪と言われるだけあって、
生涯一度も負けたことがないと伝えられている。
実は剣の他にも様々な芸術的分野で数多くの功績を残したことはあまり知られていない。

そんな宮本武蔵が死に際に書き残した書がある。
五輪書」だ。

五輪書と聞いてピンとくる方は少ないかもしれない。

五輪書を少し紹介しよう。

五輪書とは、戦いを知らない世代の武士に向け、
兵法や武士とはどうあるべきかなどを伝えるために書かれた書である。
五輪書は5巻で構成されており、
地の巻(総論)
水の巻(二天一流の特性)
火の巻(兵法について)
風邪の巻(他流と二天一流との関係)
空の巻(結び)となっている。

全体及び各巻ともに起承転結で貫かれ人生そのものが描かれている。


宮本武蔵が後世に残した五輪書は、
正に現代の仕事術に通じる部分がいくつかある。

「自己表現」、多様な縛りがある中人生を過ごす上で、
自己を完全開放して能力を存分に発揮することは、
現代人にとって極めて難しい課題となりうる。

故に追求しなければならないテーマであるのかもしれない。

宮本武蔵が残した「五輪書」を読み取ることで、
魂のヒントを得ることに価値があるのではないだろうか。


そこで、今日は五輪書から学んでみたい。

 

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五輪書の一項目、地の巻。
「地に足を付けて生きろ」
二項目、水の巻。
「体も心も水を手本にしろ」
三項目、火の巻。
「どうゆう状況が戦いやすいか!?」
四項目、風の巻。
「客観的に観ろ」
五項目、空の巻。
「時には自分の持ってる道理を捨てなければいけない」

五輪書は武芸書だから剣法の実技について書いてあるかというと、これがあまりない。
むしろ心得ばかり書かれている。

宮本武蔵は、武芸者はどちらかといえば大工に似たもので、
達者でいるにはたとえば大工のように「留あはする事」をよく吟味するのだと綴っている。



兵法の道を大工の道に例えて

大工としての心懸けは、よく切れる大工道具を持ち、隙を見ては研ぎ磨くことである。
その道具を使って、置き戸棚・書棚・文机・卓、または行灯・俎板・鍋の蓋までも素速く巧みに造るのが、重要である。
士卒もこのように心懸けなければならない。
よくよく考え尽くすべきである。


要約すると、道具を磨き、腕を磨き、考えを磨く、そして磨き続ける。
ツールとスキル、マインドを磨き続けることこそが成功への近道であり、必要なことであると説いてる。
そうすることで、ひたすら作業を進めるよりも、かえって時間も節約できるというワケだ。



宮本武蔵はこのようにも述べている。

世間をみるに、いろいろな技芸を売りものに仕立て、己れを売りものにし、もろもろの道具をも売りものとして飾り立てているが、花と実のたとえでいえば、花よりも実が少ないありようである。
とりわけ兵法の道をめぐって、表向きを飾り、見栄えをよくして技を見せびらかし、第一道場・第二道場などといって、兵法を教えたり、兵法を習ったりして、戦いにおける勝ちを得ると考えるのは、世間に言う「生半可な兵法は、大怪我のもと」である。



見栄えのいい技を手に入れればすぐに効果が出る、
という考え方を戒める。

問題は中身であって、表面的なことではないということなのだ。

生活の中で大きな変革を遂げようとすれば、
行動や態度という「葉っぱ」に心を奪われることなく、
その行動や態度の源であるパラダイムという「根っこ」に働きかけなければならないのだ。



現代社会では、
スキルやマインドにおいて、ちょっとしたコツやテクニックをマスターすることで、
簡単に成功を収めようとする風潮が加速しているように思われる。

宮本武蔵を始めとする歴史上の偉人が目指した
志や本質を改めて見直す時期なのではないだろうか。



最後に

千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。

千日の稽古は粗削りながらの形作りで、
万日の稽古はより繊細な完成度の高い仕上げを目指すことなのではないだろうか。

ひとつのことを続けるというのは本当に難しいことだ。
とくに自分で自分を管理するというのはかなりの「意志力」が必要になる。



訓練をし身体を繰り返し鍛え、技芸を磨く

その本質は今も変わらないのである。