やるか、やらないか

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孟子に学ぶ
 
 
なさざるなり、能わざるにあらざるなり
 
 
 
これは孟子と斉の宣王との問答から生まれた「名言」である。
今回この記事を書く上で、始めて知ることができた。
やはり歴史に学ぶべきことが多い。
 
 
孟子とは、紀元前の中国に実在した戦国時代の思想家である。
姓は孟名は軻。字は子車。
子思の門人に学んだという。
孔子の道を継承し発展させることを自任。
自給自足の衣食住の確保、井田法の施行、自由関税などにより人民の恒産を安定させたうえで、
教育を普及して道徳国家を実現するという王道の理想を掲げた人物である。
 
 
 
孟子は斉の宣王に「王道」を実践すべきことを説いた。
 
その時に言ったことは、
「王道を実践するのは難しいと言われるのは実行しようとなさらないのであって、できないのではありません」
 
結局は、ヤル気があるかないか、意思力の問題だというのである。
 
 
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この思考は現代においても全く変わっていない。
 
できないというのは、
自分が勝手に思い込んでいるだけなのである。
 
その根底にあるものは、実行しようとしないだけなのではないだろうか?
 
 
 
人はヤル気と自信を持つと、能力以上の力を発揮するものだ。
火事場の馬鹿力もその類である。
 
秘めた能力を発揮できないのは、単に最初からヤル気がないだけなのだ。
 
 
先日もお伝えしたが、
自分自身で限界を設けてしまうのだけは避けなければならない。
そもそも、自分で限界を決めていることが間違っているということになる。
 
 
少し視点は違うかもしれないが、
コップの水に例える話と同じなのだ。
 
要は全て捉え方の問題ということ。
 
 
限界とは、自分が限界と思うから限界になるだけのこと。
「もうダメかもしれない」と思って行動するのと、
「まだまだ私は出来る!」と思って行動するのとでは、
明らかに後者のほうが生産性も高く、向上する可能性が高まるのである。
 
 
最後に
 
孟子の志を伝えた終わりたい
 
 
真の「士」たるものは
簡単に志を捨てるものではない。
 
やめてはならない時に
やめてしまう者は、
何を行っても中途半端にしかできない。
 
志は、気の師なり